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令和2年4月法話

春は花

先日より善光寺の霊園のブログにて園内を彩る春の花を紹介することになりました。簡単な文章を添える役目を任された私は、その日から春の花と向き合う日々が始まりました。河津桜からはじまり、ソメイヨシノ、シャクナゲにアイリス。春の花って思っていたより多いものです。もともと花に詳しいわけでもなく、インターネットで調べたり、家の植物図鑑に目を通したりなど、試行錯誤する毎日を送っています。
ある日、ヒメリンゴに添える一文に悩み、帰り際にもう一度花を見に行った時のことです。花散らしの雨の中、飛ばされそうな傘を抱えて木に近づいてみました。そこには、とろけた桜の花びらを足元に、純白のヒメリンゴの花が雨風に靡かれながらも凛と鮮やかに命の輝きを見せてくれていました。植物は与えられた環境から自分の足で離れることはできません。春の穏やかな晴れの日、雨の日も風の日もすべての縁を受け入れて生きなければなりません。それでも、春が来れば花を咲かせてただひたすらに命を生き続けるのです。一方、私たちは、雨風のような試練に出会った時、逃げ出したくなる時もあります。先行きが見えないと感じて苦しんでしまう時だってたくさんあります。頭で考えると、「ただひたすらに命を生き続ける」というのは簡単なことではなさそうです。
道元禅師様のお詠に「春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪さえて、すすしかりけり」とあります。この「すすしかりけり」とは「目元が涼しい」という意味合い、つまり「非常に新鮮である」「はっきりしている」という意味です。静かに坐り、冷静にありのままの自分を見つめれば、その瞬間瞬間の有り様が非常に新鮮に映し出されるのだというのです。
よくよく私自身の命に目を向ければ、楽しい時や嬉しい時、悲しみの時も、迷いの時も、どんなときも変わらずに、自らを生かそうと休むことなく鼓動を打ち、呼吸をしています。命をただひたすらに生き続けているのは植物だけではなく、私たちの命も同じなのです。ありのままを見つめ、瞬間瞬間の新鮮な命の輝きに気付いていく。そこに、どのような環境でも心安らかに生きるヒントがあるのではないでしょうか。
私たちも花のように大自然として生きていきたいものです。合掌(記 泰真)